2010年07月02日

藤太湯伝説の俵藤太(たわらのとうた)とは?

さてさて、いかがでしたでしょうか?





吉川屋に伝わる「かむろみ(川の女神)の伝説」♪






ここで登場する主人公、「俵藤太」とは何者か?
簡単に説明させていただきますねっ





(注:あくまで吉川屋としての解釈です。
伝説には諸説あると思いますので、細かい内容に
ついてはお応えしかねますのでご了承ください)






平安時代中期の武将、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)
(生没年不詳)の幼名である。





近江の国(現在の滋賀県辺り)田原の生まれで藤原家
の長男だったことから、田原藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)
と呼ばれていたのだという。





また龍神より米の尽きない俵を授かったことから、俵藤太と
呼ばれるようになったともいわれる。





下野(現群馬、栃木県辺り)に勢力を持った武士で西暦940年、
平将門の乱に際して、平貞盛とともに将門を討ち、その功績に
より従四位下に叙され、下野守に任ぜられた。





この将門との戦の際、秀郷が将門を直接弓で射たと伝説にはある。






源氏・平氏と並ぶ武門の棟梁として多くの家系を輩出し、
子孫のなかには、源義経の家臣だった佐藤継信(つぐのぶ)
忠信(ただのぶ)兄弟がいる。
この佐藤兄弟は吉川屋からほど近い医王寺に祀られている。






兄頼朝に追われて奥州に逃れてきた義経は、忠誠を尽くしてくれた
誇り高き奥州武者・佐藤兄弟を弔うためここ医王寺を訪れ、
遺髪を葬り厚く供養したと伝えられている。






(余談)



福島における俵藤太伝説は、あまり知られていません。
しかし天王寺の宝物殿に祭られた「百足の牙」や、飯坂から
古くから伝わる伝説、佐藤氏と源氏の関係など、色々神秘的な
つながりが多いです。
個人のブログですが、このような解釈をされている方もいて
面白いなぁと思いました。
(ご紹介、という形で先方に了解をとっていないリンクです
参考ということで、あしからず)

  

Posted by まちゃき七代目 at 20:12Comments(4)七代目まんが劇場