2011年09月11日

震災から半年、ふくしまの今。

おはようございます、七代目です。





今日(9/11)であの東日本大震災から半年が立とうと
しています。





震災と津波の被害で亡くなれた、2万人の方の
ご冥福を、心からお祈り申し上げます。





そして、いまだ避難生活を送る8万人の方が、お体健康に
過ごされ、一日でも早く元の生活に戻れるよう心から
願っております。










今日のブログは、少し長くなるかもしれませんが、震災
から半年の気持ちを綴ってみたいと思います。










あの震災、津波によって東北の太平洋沿岸の多くの町が
飲み込まれ、尊い命をたくさん失いました。





大切な人を失った悲しさは、私にはとても想像がつきません。





南相馬市から避難されてる方から、現実とは思えない壮絶なお話を
うかがうくらいで、私自身は津波の体験はありません。






震災と津波から立ち上がろうとする岩手、宮城の沿岸部の町。
福島も相馬や南相馬、いわきなどは津波による壊滅的な被害を受け
復興に立ち上がろうとしていますが、福島に関しては「原発」
の問題が、他の被災地とは違う大きな問題です。







あの3.11を境に、まるで世界は変わってしまったように感じます。






正直、震災を体験していない方の空気感を感じると、どこか
違う国の人とお話しているようです。
それくらい、この半年に渡って苦渋の生活をして参りました。






大きく分けますと、東京電力の人為的ミスによる原発事故の
影響、そしてマスコミによる風評被害の拡散、この2つです。






わたしは震災以来毎日食い入るようにネットで原発や放射能
について勉強し続けてきました。





もちろん専門家には遠く及びませんが、ひとつ分かったのは、
放射能(正確には放射性物質)というのは素人が簡単に理解
できないものであるということ。
このことが、問題を複雑にしています。





ネットに溢れているのは、おそらく反原発派による不安を煽る
放射能パニックと、原発推進派による都合よく隠蔽した情報、
その両極端に分かれているような気がして、福島に住む私たちが
本当に必要な情報を得るのがとても困難でした。





真偽入り乱れて、情報に振り回された、そんな半年間でした。






震災・津波・原発・風評の四重苦の福島を応援しようという
世の中の風潮は、GW明けのセシウム牛問題で手のひらを返した
ように、福島のバッシングに変わっていきました。






ガソリンスタンドで給油を拒否される福島ナンバーの車、
転校先でいじめられる福島の子供、親戚から福島から
脱出するよう促される小さな子供を持つ家族、
そして市場から安く買いたたかれたり仕入れを拒否
される福島県産品・・・






広島・長崎の被爆者の方や水俣病の公害に苦しめられた
方たちが受けてきた謂われない差別が、のどかで幸せな
暮らしをしている私たちに突然降ってきました。






どうしてこんなことになってしまったのか・・・
正直「ポカーン」とするしかありませんでした。






福島県浜通り、大熊町にある福島原発は、首都圏に電力を送るもの
であり、生まれてきて30年なんの関わりもなく存在すらなんとなく
そんなのあるよね、と言ったものが、ある日突然私たちの生活を
変えてしまった。






福島の観光業も大打撃を受けているが、半年経つ今でも東電や国の
補償の動きは非常に鈍く、このままでは福島の魅力ある観光、
旅館、産業がことごとく消えていきかねない窮状です。






日本には原発が55基もあるそうです。






そこから100km圏で円を書くと、日本のほとんどの地域は
入ってしまいます。
いま、「福島」というワードだけがクローズアップされています
が、放射性物質は県境でポトッと落ちるわけではありません。






かつて「助け合い」や「和」を大事にすることが日本の文化で
あり美徳でもあったと思いますが、「自分たちだければ良ければ
いい」という姿を、この震災を通じて目の当たりにすることも
少なくありませんでした。
同じ日本人として、とても悲しく感じました。






どうか、福島の体験をムダにすることなく、少なくとも原発
立地県の人たちは「非常時」に何が起きるかというのを、
福島を通じて十分に勉強してほしい。
これから100年先に大災害が起きないという確証はないのです
から。






さて、ここまではネガティブなことも書いてきましたが、
何も惨劇を嘆くためだけにブログを書いたわけではありません。






この震災と原発事故は、私を大きく成長させてくれました。






ひとつは、「人間の絆の大事さを再確認させてくれたこと」






当館に避難して来た方に対する多くのボランティアさんの気持ち、
復興支援に来てくださる方、スタッフを心配して来てくれる
リピーターの方の気持ち、わたしたちは人に「生かされている」
と、深い感謝の気持ちを感じました。






ひとつは、「真偽を見極める目を育ててくれたこと」






震災後、情報が混濁している中わたしたちは本当に必要な
情報を見極めなくてはなりませんでした。
世の中には、嘘の情報が数多くあることに気が付きました。





とくに、
『テレビ、新聞などのマスコミは
絶対信用してはいけない』

この確証が持てたことは大きかった。
ネットは正誤入乱れていますが、最終的には自分が判断しましょう。






ひとつは、「逆境に負けないハングリー精神を養ったこと」





震災が起こる前から構造不況でした。
生きるということは自分に負けないことであり、不況だとか
原発とか風評だとかは言い訳にすぎないということです。





行動する前にあきらめる人が多すぎます。





ひとつ手を打ってダメだったら、10手を打ってみる。
10打ってダメなら、100打ってみる。
100打ってダメなら、1000打ってみる。
1000打ってダメなら、10000打ってみる。





10000手打ってダメなら、あきらめてもいいかもしれません(笑)





私の好きな尊敬する福島正伸先生の言葉に、



「一番苦しい所にいる人が、
一番輝いている」






「成功するまで、やる」





というものがあります。





色々言ってきましたが、この逆境こそチャンスではないのか





震災を経てそう思い奮い立つ人は多くいるのではないでしょうか。
そんな目が輝いて生き生きと活動している人に会いに行き、
元気をもらうだけではなく人生観まで変わって帰ってくる。





そのために「被災地に復興応援に行く」理由があると思います。






自分の勝手な思いばかりつらつらと書いてしまい、
申し訳ありませんでした(>_<)





もう書きません〜!!(笑)






ひとに必要なのは夢、そして希望。





震災から1年後に、もっと成長した自分がいるように。
もっと素晴らしい旅館が。そして福島があるように。





今日も小さな一歩を踏み出します。






今後とも、福島を、吉川屋を、そしてこの七代目ブログを
よろしくお願いします〜♪\(^o^)/  

Posted by まちゃき七代目 at 09:49Comments(12)つれづれ